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さりげなく 善良な人達や 動物の民の良い 振舞いや善行を いつも スプリームマスター TVで紹介しています だから 子供達に それを見て 若い脳 若い心に良い模範を 刻み込むために 奨励できます 大人になった時に それに 従って生きるでしょう とても感動しました 何度も泣きました 編集をしている時に 外にいる人達は とても愛情深く 親切だからです[…] 特に 多くの 男性達に泣かされました 路上に出て 屠殺場での 動物の民の残虐行為に 抗議する為に 人々に ビーガンになるよう 呼びかけました ああ 彼らの顔を見るとー とても情熱的で リアルで とても本物です! 今 鳥肌が立っています それを話しているだけで そんな人達がまだ 存在しているから私は とても感謝し 泣くのです男性だけでなく 女性も! 彼らは街頭に出て 声を上げられない 哀れな動物の民のために 胎児やまだ生まれぬ 子供達のために抗議し 擁護します 反対派や 反対のグループから 嘲笑され軽蔑される 危険を冒しつつ でも彼らは気にしません 彼らがそうするとき 本当に愛があるからです まだ生まれぬ子供達を 愛しています 動物の民を愛しています そしてビーガンの人々に ついてだけでなくー ビーガンでない人々も 人間には本質的に善良な 心があるからです 「ニャン チー ソー ティン ブン ティエン」 オゥラック(ベトナム) ではこう言います オゥラック(ベトナム)語で 人間は本来 最初から とても良い性質を持って いるという意味です 仏陀もまた 全ての人に 仏性があると言いました そして主イエスは 私達は 神の子であると言いました 多くの師がそう言いました更に主イエスは言いました 「私がすることは何でも 貴方にもできる 貴方は更に上手にできる」 勿論 彼は謙虚でした 彼は神の御子です でも師とはそういうものです 謙虚なのです 大抵 全能の神のおかげ だと言います 自分のしたことを あまり語りません 彼らは密かに 人類の 肉眼では見えないように 行っています 人間は世界で何が 起こっているのか全員が 分っている訳ではないので 彼らがこのような生活を 続ければ どんな災難が 降りかかるかー愛もなく 他の衆生 木々 昆虫 全ての貧しい人達への 同情もないような 例えば そんな生活を 現代では物質的な誘惑が 多過ぎて 物質的なものに こだわり過ぎているので 彼らがそれを理解するのは 非常に困難です そして霊的努力 霊的な 目標のようなものは 私達の世界では殆ど 忘れられています 人々は教会へ行き 寺院へ行き モスクへ行くと 知っています でもそれは必ずしも 内的にではなく 外的なだけです それが問題なのです教会に行くのは良く 寺院やモスクに行くのは 良いことです 同じ考え 同じ霊的願望を 持つグループに所属する 必要があるなら そして本来のマスターを 思い起こす必要があるならー 例えば 釈迦牟尼仏 イエス キリスト グル ナーナク デヴ ジ 預言者ムハンマド (彼に平安あれ) バハオラや 主マハーヴィーラ クリシュナ神 等々 それなら教会へ行き 寺院へ行くことですそして 本当に高徳で 修行に熱心な 僧侶に会ったら 勿論 布施をすると 良いです でもこの僧侶 あの僧侶 この尼僧 あの尼僧に 布施をすれば 功徳が得られるとは 考えないでください そうは思わないで下さい 布施はただ愛ゆえです 布施をしたいのは その僧や尼僧に霊修行を 更に進むよう 触発されたからです それに彼らには幾らか 物質的な維持も必要です 僧や尼僧として または隠れた 在家の修行者として 自身の霊的な努力を 更に進めるために僧や尼僧でなくとも 真に誠実で高位の 人もたくさんいます 例えば仏陀の存命中 維摩居士は僧侶では なかったのですが 本当に霊的パワーがあり それで 全ての僧侶も 彼を尊敬していました 僧侶はそれを感じ 彼の高い智慧の雄弁さを 聞くことができました だから彼が悟りを 開いたと分ったのです 仏陀でさえ彼を愛し 賞讃しました 彼(維摩居士)が病に伏せた時 仏陀は多くの僧侶に 彼を見舞うよう頼みました 大勢が行かなかったのは 維摩居士が彼らより 智慧があるのを懸念した からです おそらく当時の僧や 尼僧の中には 在家信者の 維摩居士より未だに低位の 者もいたのでしょうそしてどうか僧侶が一日 二食か三食という事を理由に 判断しないでください 僧侶も貴方同様 寺院で 働く必要があります 寺院の庭を掃除し 寺院の 建物やホールの中を 掃除する必要があり それで 在家の人達が 来て座り 瞑想し 高僧の講義を聞きに 来られるのです 恐らく 寺院が あまり裕福でなければ 彼らは木を切り 火を起こし 料理しなければならず 他にも多くの事をします そして読経し 仏名を唱えます それに時間を取り それから 瞑想もする必要があります 時には外出して 寺院のために買い物を しなければなりません 彼らも働いています! だから誰もが異なります 既に話したように 弥勒仏は何世紀も前に この世に転生しました 大きく太った仏陀で 大きなお腹で いつもとても 幸せそうに笑っていました そうやって彼らは 神に似た像を作り 私達は今も寺院でそれを 見られます 今もそうして彼を崇拝します私が若い頃 自宅に大変お腹の大きい 弥勒仏の像がありました 観音菩薩も 地蔵菩薩も 他の仏陀も ありました オウラック(ベトナム)を 出た頃は 仏像を買うのは 難しいことでした 望むどこでも買える 訳ではありません そうではないです オゥラック(ベトナム)や 中国 タイ ビルマ ラオス カンボジアでは 簡単に購入できます元夫と休暇で出かけた際 タイで見た仏像の一つが とても気に入りました 夫はー当時私達は貧しく あまり裕福ではなく 夫はまだアパートの ローンを払い 奨学金も 返済していたからです ーでも私をとても愛して いたので その仏像を 私のために購入し ドイツに送るための 多くの法的手続きを 行いました 言うほど簡単ではなく 彼は私を休暇に連れて来て 私の仏陀への愛を知って いたので 仏教寺院などに 連れて行ってくれました 例えばビルマにも シュエダゴン 仏陀 黄金寺院へ行き タイでも様々な 寺院へ行きました 恐らく 私が様々な 寺院で仏像と撮った 写真の幾つかは まだ見られるでしょう ああ 本当に良い夫でした 今も思い出します 彼に祝福をそれで ドイツや英国など 欧州諸国での彫像の 購入は簡単ではないです だから可能ならすぐにー タイで購入しました そして輝く宝石が たくさん飾られた 美しい像がありました 本物ではないかも でもダイヤやルビーの ように輝いていて 彼らはドレスにするように 彫像全体にそれを 埋め込みました身長の2/3ほどもある 大きな仏像を一体 手に入れられてとても 嬉しかったです そして他の仏像ー 弥勒仏や地蔵菩薩 観音菩薩はー より小さいです ドイツで唯一買えたものです 英国でもありましたが 大きくなかったですあまり貧しくはなくても ただ…のように暮し 私達はとても裕福だった 訳ではないです 中流階級だと思います 彼は医師として働き 私は赤十字の通訳として 半日だけ働きました 私が家にいて 家事も したかったからです 彼が帰宅した時には 暖かい家で待っていました そして全てが清潔で あるようにしました 家事 料理 彼を待ち 彼が外に 植えたトマトの苗に 水をやるなどしました 一緒に植えました コリアンダーや ペパーミントもその時に 植え 花もです彼は庭に植える花も幾つか 買って来てくれました 私がいつもできるだけ 新しい花を仏陀に供えたいと 思っていると 分っていたからです それで彼は「この花は 一年中 ずっと 咲いている」と それで買って植えたら 庭一面に 広がりました 後で あるエリア内に 制限する必要がありました 本当に毎日咲きました ひまわりに似ていましたが もっと小さかったです 当時は それに限らず 買えるものは何でも 買える時に 買っていました そして 花が 枯れそうになると 勿論 交換しました 花や水や果物を 供えしましたそして毎晩 自分の 小さな部屋で寝る前に お経を唱えました 事務所ですが 自分の 部屋に使っていました 特に私が悟りを開こうと 決心してから 私達は寝室を 別々に分けました それでその部屋の床に 寝袋を敷いて寝れば 朝 お経を唱えられるし 彼を起こさずにすみます 単なる言い訳です 私達は別れて 彼が 一人でいることに 慣れるようにしたのです でもそれは彼にとっても 私にとっても 非常に 大きな心痛でした でも彼にとっては それ以上だったでしょう 私には目標があり 新しい ことに踏み出しましたが 彼は尚も同じ家に住み 同じ仕事を続け 孤独でした 私には正しい事だったと 言えませんが どうすべきでしたか? 家を出ずにいたら 今頃 皆と会ったり 話したり できなかったでしょう でも誰もがそうすべき という事ではないです 単に 私の運命でしょう 私の使命は更なる集中力を 要求したのです